JOURNAL

継承

2025.08.15

 

 

 

矢口です。

 

田舎町の我が町、お盆の帰省時期に合わせて成人式を行う。

 

1/15の「成人の日」では、正月に帰省してもそこまで故郷にはいられず集まりにくいと言う観点から夏の式となったのだろう。

その成人式改め「20歳のつどい」が本日開催され、我が家長男も出席となる。

 

妻里帰りの出産が3連休と重なりお店を始めていた私は立ち会い出産に駆けつけられず、連休が明けてから急ぎ車を飛ばして会いに行った初対面の感激。

私学生時代の空手道場へ一緒に通った事、ミニバスから高校まで共にバスケをやった事、水曜日休みの私と合う僅かな日に遊びに行った事、振り返ると沢山の場面が湧き上がる。

 

考え方としても、接し方としても正解だったのかは現段階では分からない、彼には私の持つ道徳感、古来古典の「道」的思想を共有してきた。

これも勝手な私の思いでしかないのですが、男親として息子は自らの分身にも似た感覚もあり、大人となって独りあゆむ時に、芯を持って進める事を願って厳しさを加味して接してきた。

 

私なりに息子が自由にやりたい事を選び進める様な余白も意識していたつもりだけど、無意識に締め付けてしまう要素も多分にあった様に振り返る、自責の念を込めて。

そんな万感の思い溢れる感慨深き彼の成人式。

 

しばらく前のジャーナル投稿で綴った大切にして来た腕時計、私が大学二十歳くらいの時にバイト代を貯めて購入したオメガスピードマスターオートマチック。

父が憧れ手に入れて30数年、大切に時間を共にして来た相棒を昨日元服を祝して息子に「継承」した。

 

現代っ子であればApple Watchの方が嬉しいのかもしれない、とてもオールドな時計であっても彼は喜んでくれた。

「人への思い出、物にも思い出」、自分が大切にして来たものを次世代へ受け継ぐ、さらにその先へ繋がって行けたら尚のこと、彼が喜んでくれた以上に「継承」出来た私が嬉しい。

 

息子へ、本日はおめでとう。