JOURNAL

生ける

2025.06.13

 

 

 

 

 

矢口です。

 

「生ける」・・・切り花や植物を花瓶などに挿して飾ること、または華道(いけばな)の技法で花を飾ることを指す、華道では花に命を吹き込みその姿を最大限に引き出すことを目指す。

 

花を暮らしの中に持ち込むという習慣は6世紀頃、古墳時代から飛鳥時代へと移行する時期、中国から朝鮮半島を経て仏教の伝来とともに始まり、日本の津々浦々に寺が建立され仏様に花を供えるようになった。

それが「華道」となるのは室町後期の応仁の乱のころ、戦乱の中、当時の住職・池坊専応が、仏様に花を供える際に集まってくる人々の傷ついた心と自分自身が癒やされることに改めて気づいたことが始まり。

 

花と向き合っているほんの一時は心が安らかになる、あるいは生きている植物に触れるという命と命の交わり合いによって人間も日々生きていることを誠実に見つめていく、そうした精神性を伴う道としての華道は荒廃した戦乱の世で生まれた経緯。

なぜお花は「生ける」と表現するのか?「生ける」という表現は、花と向き合うありかたを包含するような姿、植物を生かす、そしてそれによって自分自身も生かされるという双方向的な関係と考えることから。

 

「VOGUE  JAPAN」のサイトにあった日本最古かつ最大の門弟を擁し「いけばなの根源」と呼ばれる華道家元池坊の記事を読み、山野草を愛で始めた知命(天命を知る年齢)50歳を過ぎた私は30代くらいまではさほど意識したことのない「華道」について興味を抱く。

「本気で習う」って気概ではないけれど、華道の「心」たるものを知りたい気持ちも湧く、まさに年齢を重ねるってことのより良き興味の移ろい。

 

同時に、このページの中谷美紀さんと池坊専宗さんの写真の様子から、撮られているレンズは 85mm F1.4 ではないかと想像し。

SONY 85mm F1.4 Ⅱ がずっと頭の片隅に残っている私として多方面から興味を湧き起こさせる記事でした。

 

「生ける」・・・植物を生かし、それによって自分自身も生かされるという概念、どんなことにも共通する言葉です。