JOURNAL

感情

2024.03.09

 

矢口です。

 

若き頃と比べ、50歳も過ぎれば子供の頃から親しんできた著名な方の訃報をメディアから知る機会が増えてくる。

森羅万象ことわりとして、悲しい思い重なりますが自然のことなのだと思わざるは得ない事象でございます。

 

昨日、漫画家鳥山明さんの訃報が届き、世界中に悲しみが広がった。

私も悲しさを感じ、でもこれまで感じてきた好意ある方や親しみある方の訃報に接した感情とはなんだか別種の悲しさが身体を走った感覚。

 

メディアへの露出はきっと数回で、お顔の写真すら今回の訃報記事で初見したくらい。

お人也も自分のデータベースには存在していないと言って過言ではない鳥山さん。

 

その感情は詳細には連ねませんが、まさに「少年」、小学生から傍にあり、楽しんできた数々の作品が私の脳内にハッキリと刻まれ、今の自分の断片を形成させてくれているが如く。

例えるなら、それは確実に後天的な記憶であれど、生命の記憶であるDNAに先天的に刻まれている様な不思議な感覚の去来!?

 

感覚の表層には分かりやすく見当たらないけれど、潜在的、魂内に刻まれた記憶。

その主人へのオマージュ的な寂しさ・悲しさなのかもしれないと思えた。

 

鳥山さん、ありがとう。

深い哀悼の意を、頬をつたう涙と共に自らの感情に巡らせた。

 

余談、先日2脚入荷した木工作家 盛永省治さんのスツール、内1脚が選ばれお客様へ嫁ぎました、記念写真。

短い期間の在店でしたが、大きく美しい存在感でお店を彩ってくださり、嫁ぐとなると嬉しさと寂しさが両立する感情(想いを巡らせ大切に選ばせていただいた全ての服・作品に共通する感覚)。

 

これからはご購入くださいましたお客様の元で長き時間をご一緒し、お客様との心豊かな時間の相棒となってくれることと思います。

お客様、誠にありがとございました。

 

店頭にはもう1脚、盛永さんのスツールがございます。

たおやかなる木の美しさ、ご覧くださいませ。