JOURNAL

ちょんまげ

2022.10.31

 

 

 

 

 

 

 

矢口です。

 

「塩の道」千国街道千国集落の番所

大人の社会科見学したらば、番所役人さんの人形が目に入ってくる。

 

すかさず、違和感というか、ハッとしたのがちょんまげヘアスタイル。

「すごい髪型だよなぁ〜」そう思った。

 

ちょんまげ(丁髷)、お侍さんはなぜしたのか?

「古くは髪をまとめて冠の中に入れるために結ったもの。男子は古代から頭に冠や烏帽子を着用するのが一般的であり、その中に髪を纏めて入れたため、髪をまとめたのがまげの原型。古代には冠などの中に入れるため、上に立てていました。ただ中世に入り武士の世の中になると、武士たちは、合戦に際して兜をかぶるためにまげを解きました。また合戦のとき、頭に血が上るといって、頭部の髪を抜きました。これが月代(さかやき)で、頭部の前面から頭頂の髪を除いたものです。月代(さかやき)は剃るのでなく抜いたために、戦国時代に来日した宣教師ルイス・フロイスは、合戦には武士が頭を血だらけにしていると記しています。中世後期には一般に烏帽子などをかぶらなくなり、髷を後ろに纏めて垂らし、烏帽子や冠は公家・武士・神職などが儀式に着用する程度になりました。近世には、月代(さかやき)が庶民にまで広がって剃るのが一般化し、髷を前にまげて頭の上に置くようになると、丁髷(ちょんまげ)と呼ばれました。丁髷は明治4年(1871)断髪令が出たのち廃れ、現在では力士などが結うだけです。」

 

なるほど、烏帽子着用時の収納用途で髪をまとめ髷が始まり、戦の時代に兜をかぶることでの蒸れやかゆみ防止で頭頂まで毛を抜き、江戸時代に流行のヘアスタイルとして庶民まで広がったものか。

それにしても、戦国の武士たちは髪を剃るのではなく、”抜いて”あの髪型を作ったのだと知ると、ハードな時代に生きた男たちのあらゆる精神の強さにしみじみ感嘆。

 

やばいなちょんまげへアスタイル!

見た目も作法もソーハード、なんとも凄まじい。