JOURNAL

悠久の記憶

2022.10.02

 

 

 

矢口です。

 

「悠久」、久しい過去に始まって、変わらず続くこと。果てしなく長く続くこと。

 

宇宙の始まり、地球の誕生、生命の、人の・・・

宇宙のはじまりは138億年前、超高温・超高密度の火の玉「ビッグバン」の急膨張により誕生したとされている。

人や地球の未来が悠久かは断言できない部分もありますが、きっと宇宙は悠久に続くのだろう。

 

そして、今を生きる我々。

人生80年となっている今であっても、これは平均値の話、かなり大まかな解釈ですが、人の生の平均を前後10年の幅で捉えれば70歳から90歳。

 

そんな70代は団塊の世代と言われ特に人口が多く、昭和日本の成長期的活気溢れる時代を築き、日本人の娯楽独占メディアであったテレビを通じて華やかにしてくれた御仁、多くの国民の記憶に鮮明にあり続ける方達。

そして、ほぼ50歳の私が生まれ、20歳になる少年青年期の記憶に刻まれているテレビで活躍していた昭和時代の著名人は70歳を超える年齢、団塊ジュニアと呼ばれるこれまた人口が多い私世代が親しんだ昭和日本の著名人が。

 

「笑点」楽太郎さんでお馴染みの三遊亭円楽さんと「燃える闘魂」アントニオ猪木さんの訃報が立て続いた。

70歳を超えられたその時代の著名人の訃報が日々ニュースから伝えられる昨今。

 

きっと、これから益々加速するであろう人口減と娯楽メディアの乱立によって、多く方の共通の記憶にある御仁の旅立ちを悼むこの感覚はこの先未来徐々に薄まって行くに違いない。

そんなことは思いながら、私の中にあるお二人の記憶を辿り、ご冥福を祈る。

 

私的悠久の記憶。

 

猪木さん、中学時代に学校の隣にあった田舎の町営体育館に興行に来られていて、悪ガキだった私は数人で愛車ベンツでお昼寝されていた猪木さんを「イノキー!」って言いながらおこし、えらい剣幕で怒られた私勝手な思い出がある。

猪木さん、その節はごめんなさい。

 

猪木さんの人となりを語る古舘さんの動画を見ながら私に刻まれた記憶を辿った、昨日の事。