JOURNAL

根津露地の侘び寂び

2022.08.07

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

矢口です。

 

先の東京出張時、根津美術館に赴く。

 

根津美術館は、東武鉄道の社長などを務めた実業家・初代根津嘉一郎(1860~1940)が蒐集した日本・東洋の古美術品コレクションを保存し、展示するためにつくられた美術館。

山梨県に生まれた初代嘉一郎は、若い頃から古美術品に関心を寄せていて、明治29年(1896)東京に本拠を移すと、実業家、政治家として腕を振るう。

また教育界にもその活躍の場を広げるかたわら、茶の湯にいそしむようになると、美術品の蒐集にはさらに拍車がかかり、それらのコレクションを単に秘蔵するのではなく、「衆と共に楽しむ」ことを行なった。

 

江戸時代、現在の根津美術館がある敷地には、江戸定府を務めた河内国丹南藩藩主・高木家(美濃衆の一家)の江戸下屋敷があった場所。

初代根津嘉一郎は、故郷から東京へ本拠を移したちょうど10年後の1906年(明治39年)になってこれを取得し、ただちに邸宅の建設を始めると共に数年がかりでの造園にも着手。

初代の没後、家督を継いだ2代目がこの邸宅を美術館に改装するが、その際、母屋を本館とした。

 

収集品は主に日本・東洋の古美術で、その高い質と幅の広さに特色がある。

第二次世界大戦前の実業家の美術コレクションは茶道具主体のものが多いが、根津コレクションは、茶道具もさることながら、仏教絵画、写経、水墨画、近世絵画、中国絵画、漆工、陶磁器、日本刀とその刀装具、中国古代青銅器など、日本美術・東洋美術のあらゆる分野の一級品が揃っている。

現在の本館は、建築家・隈研吾さんによる設計、2009年(平成21年)10月7日に開館した。

 

「根津露地の侘び寂び」。

 

露地とは茶室周りを整えた茶庭のこと。

室町時代に茶室へと至る通路を「路地」と呼ばれ、その後、豊臣秀吉の側近である茶人・千利休が小さな茶室で粗末な道具での茶会を楽しむ「わび」文化を確立。

この時代に、わび・さびを基調とした茶庭が「路地」から、より次元の高い「露地」へと昇華される。

 

根津美術館の庭園は素晴らしい。

高低差のある広い敷地にさまざまな植生の木々が育ち、山や池が幾重にも重なり、石仏・石塔が落ち着きを加え、何棟もの茶室が美しく配されていた。

 

美しいなぁ〜、昭和以前の富豪は、侘び寂びを愛し、後世に残る文化を形として残してくれた。

よく考えると日本に残る古からの重要な文化財は、時の権力者や富豪たちの足跡であって、そのお金の使い道が意図したものか道楽であったかは別としても後世の人間の栄養となっている存在が多い。

 

私の知る限り、メディアに露出される現代日本の富豪たちは、SNSでお金を配ったり、パーティー三昧だったり、スポーツ球団を買ったり、それはそれだけれど。

ぜひ、余りある財があるのであれば、令和スタートの後世に残る文化価値のある存在を作って、日本の美しい侘び寂びを後世に継承させてほしいなぁ〜っと思いを巡らせた。

 

東京都港区のど真ん中にある根津美術館、ご機会がありましたら是非一度。

 

50歳間近の我が身、この様な場所で感じることはとても栄養になる。

昨今、茶道や花道に触れたい気持ちも心静かに湧いてきている。